出エジプト記32章 刻んだ像を造ってはならない

「「さあ、われわれに先立って行く神々を、われわれのために造ってほしい。」出エジプト32:1

くぅ~ママのちょっと一言

さて、モーセが山に登ってから40日40夜が経ちました。民にとってはどんなに長く感じたことでしょう。不安が募り、目に見える何かを心の拠り所としたいと思ったのでしょう、民は金の子牛の像をつくってしまいます。十戒で刻んだ像を作ってはならないと命じられていたにも関わらずです。

クリスチャンは目に見える何かに向かって祈るということはしません。私たちはそれぞれの心の中におられる神に対して祈ります。また宇宙を創られた神に対して天に向かって祈ります。また風や空気のように私たちのすぐそばにいてくださる神の存在を感じて祈ります。

いずれも場所を問いません。倒れたら起き上がらせたり、盗まれたら探しだしたり、磨きをかけないといけないような人間が作った神々とは違います。どこにいても、たとえ刻んだ像の前にしたとしても、心は神に向かっています。

聖書要約
金の子牛
指導者であるモーセがシナイ山に登ったまま、降りてこないので、民はアロンに「我々に先立って進む神を作ってください」と求めました。そこでアロンは民全員に身につけている金の耳輪を外して持ってこさせ、火で溶かし、子牛の像を造り、翌日盛大な祝いをしたのです。神はそれをご覧になって、怒りに燃え民を滅ぼそうといわれます。モーセは神に執り成します。「アブラハム、イサク、ヤコブに約束してくださったことを思い出してください。」と。神はモーセの言葉によって民に下す災いを思いなおされました。
モーセが神から賜った十戒の書かれた2枚の板を持ってふもとに下りてきて見たものは、なんと民の乱交振りでした。モーセは怒りのあまり、十戒の板を地面に投げつけ、子牛の像を火に入れて溶かしました。アロンを叱責しますが、アロンは言い訳するばかりです。モーセは「誰でも主につく者は集まれ」と言うと、レビの子らが全員モーセの下に来ました。そして主の命を受けてレビの手によって、3000人の民が打たれたのです。
その後、モーセはこの民の罪の赦しを請う為に再び山に登りました。そして、自分の名をあなたが書き記された書から消しさてくださってもいいですから、民の罪をお赦し下さいと主に願いました。主は「今は民を約束の地に導く使命を全うするように」と言われました。しかし人々の罪を見過ごすわけにはいきません。人々の罪は罰せられると主は言われたのです。