出エジプト記33章 「恵もうとする者に恵みを」

「わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」」出エジプト33:19

くぅ~ママのちょっと一言
モーセは神にイスラエルの民と共にいてくださるようにと懇願し、神はそれをお聞きくださいました。神が共にいて下さるということは、モーセが願い求めたように、クリスチャンにとって欠くことが出来ないことです。クリスチャンは神の守りと導きを感謝しながら日々生活します。詩篇23編には「死の陰の谷を行く時も わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」とありますが、死の陰の谷を行くような、窮地の時にも「神が共にいてくださる」のでただただ感謝!喜びの時にはさらに感謝!なのです。

聖書要約
民の嘆き
神はモーセに言われました。「あなたは民を率いて約束の地に行きなさい」と。「しかしわたしは同行しない。民が自分中心で強情なので、怒りで滅ぼしてしまうといけないから」と。そして宝石や装飾品を身から外すようにと言われたので、民はそれから一人も飾りを身につけませんでした。
臨在の幕屋
モーセは宿営の外遠くに臨在の幕屋を張りました。主にお伺いをたてる時はだれでもそこに行くことができます。モーセが幕屋に行った時は雲の柱が幕屋の入り口に立ちました。そこでモーセは神と出会うのです。民達はそれぞれの天幕の入り口でモーセを見送り。雲の柱を見て深くお辞儀をして礼拝を奉げました。神はモーセに友のように語られました。モーセが幕屋を去っても、ヌンの子ヨシュアは常に幕屋を守る為に離れることはありませんでした。
民と共に行かれる主
モーセはこの旅に神が同行してくださることを強く求めました。そのことによってのみ、この民は地上にある他の民とは異なる神の特別な民である事になり得るとモーセは神に願います。「あなたが一緒に行ってくださらないのであれば、ここから上らせないで下さい」とまで言いました。主はモーセの願いを聞いてくださいました。
主の栄光
モーセは「神の栄光を見せてください」と再び願います。神の答えは、あなたにあらゆる善き物を見せようと。そして神の名によってはっきり宣言して下さいました。「私は、自分がそうしようと思った者に心から同情し、恵を与える」と。そして神の顔を見たものは命が絶たれるのですが、神はモーセの前を通り過ぎて、神の背中を見ることをお許しになりました。