民数記19章 「死に触れた時の規定」
「その者は三日目と七日目に、先の水で身の汚れを除いて、きよくなる。」民数記19:12
くぅ~ママのちょっと一言
イスラエルの共同体を神が導かれる時、死は不浄とされていたことが分かります。その死の汚れを取り除くための方法が記されているのです。清い人がそのくぅ~ママ助産師永原のちょっと一言
イスラエルの共同体を神が導かれる時、死は不浄とされていたことが分かります。その死の汚れを取り除くための方法が記されているのです。清い人がその
イスラエルの共同体を神が導かれる時、死は不浄とされていたことが分かります。
その死の汚れを取り除くための方法が記されています。清い人がその汚れを取り除く儀式をすることによって、その人も汚れるというのですから、死はよほど聖なるものから区別されなければならなかったのです。 但し、このように死を不浄として扱われるのは、死体に触れた者を精神的に支えるためのものとの解説もあり、ここにも神のご配慮を感じます。
日本の仏教のお葬式でも清めの塩が使われるのは、死は不浄であると考えるからですが、
クリスチャンは死を不浄として考えてはいません。確かに死は罪の結果ではありますが、その罪をイエスキリストは十字架にお架かりになることで贖って下さったのです。(イエスは罪のために死ななければならなかった私たちの身代わりとなってくださった)ですから、この世での最期の時は肉体の命の終わりですが、同時に霊なる命は天国に昇り、神と出会える時なのです。この世での生活にピリオドを打ち、肉親や親しい人たちと分かれるのは辛いことですが、天国での生活の始まりという希望があるのです。
聖書要約
清めの水
神はモーセとアロンに言われました。まだ働いたことの無い、無傷の赤毛の雌牛をアロンの第3子である祭司エルアザルに引渡し、宿営の外で屠りエルアザルが指で取ってそれを7度臨在の幕屋の正面に向かって振りまきなさい。その後この雌牛のすべてを焼きますが、その時その中に杉の枝、ヒソプ、緋糸を投げ込みます。そして出来た灰は宿営の外の清い所に保存しておきます。この灰を容器に入れ、流水を加えて清めの水を作ります。
死体に触れた者は7日の間汚れるのですが、3日目と7日目の清めの水で身を清めなければ汚れてままとなり、イスラエルの共同体から断たれることになります。
また天幕の中で人が死んだ時はその中にいた人、また蓋のない容器も汚れます。戦死者や人骨に触れた者も7日の間汚れるので、3日目と7日目に身の清い者がヒソプで清い水を振りかけ清めます。但し、その清めた人は汚れたものとなり、衣服を水で洗い、夕方まで汚れています。