士師記11章 「ただ受ける」

「エフタがミツパの自分の家に帰ると、なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。」士師記11:34

くぅ~ママのちょっと一言

娘や息子を主にささげるというのは異教の習慣でイスラエルの真の神はそのようなことをお命じにはなりません。

この章に登場するエフタを待ち受けていたものは娘を捧げるという大変悲しい結末でした。なぜこんなことになってしまったのでしょう。それはエフタが請願をたてたことに問題があるような気がします。勝利の恵は神から無代価で頂くもので、「~するから、恵を下さい」と取引するものではありません。「お賽銭を入れたので商売を繁盛させてください」ではなく、すでに主から頂いた恵への応答して私たちは神に献げるのです。クリスチャンの信仰は取引ではないのです。

それにしてもエフタは自分の家から最初に出てくる者が限られることがなぜ分からなかったのでしょう。いやそれがだれであっても他の人の命をかけるような請願をしてはなりません。

聖書要約
エフタ

 エフタはギルアデ出身の勇者でした。しかし母が遊女であったため、腹違いの兄弟に追い出され、ならず者と行動を共にするようになりました。ところがアンモン人がイスラエルに宣戦布告をしてきたとき、ギルアデの要人達がエフタのところに来て、指揮官としてギルアデのために戦って欲しいと頼みました。エフタは最初は冷ややかでしたが、「戦ってくれたらギルアデの王としよう」という言葉にエフタは帰ることにしました。この契約はミツパにおいて神の前で結ばれました。
 王になったエフタはアンモン人の王に使者を送り、攻撃の理由を聞きました。するとアンモン人の王はイスラエル人が住んでいる土地はもともとアンモン人のものだと主張するのです。エフタは出エジプトにおける歴史的事実を説明します。それはイスラエルの民が紅海を渡り、旅を続ける時に、エドムとモアブの王に領地の通過の許可をもらおうとしましたがこれを拒否されました。またエモリ人の王シホンには拒否されたばかりか、攻撃を仕掛けられたのです。神はイスラエルのために戦ってくださり、エモリ人の全土を与えてくださったのです。神から与えられた土地を私たちは守りますから、アンモン人はあなた方の神であるけケモシュが与えて与えて下さった土地を守りなさい。また300年間そのままにしていて、今更そのような主張は通らないと言い返したのです。しかしアンモンの王はエフタの言葉に耳を貸しませんでした。
 神の霊がエフタに臨み、エフタはついに兵を挙げました。マナセを通過するとき、マナセからも兵を募りました。エフタは主に「もし神の助けにより、アンモン人に勝って、帰還させていただいたなら、私を最初に迎えに出てきた者を完全に焼き尽くすいけにえにします」と請願を立てました。エフタは勝利を収め凱旋しました。エフタが戻ると、一人娘がタンバリンを打ち鳴らしながら父の勝利を喜びながら出迎えてくれたのです。エフタは胸が張り裂けそうでしたが、神への誓願を反故にするわけにはいきません。エフタは2ヶ月の間、家を出て、子どもを残せず死ぬことを嘆き悲しみましたが、その後その身をささげたのです。イスラエルでは毎年4日間娘達は家を出て、エフタのために嘆き悲しむのです。