サムエル記第一12章 「立てられた王」

はあなたがたの上に王を置かれた。」サムエル記第一12:13

くぅ~ママのちょっと一言

サムエルは自分が職務に対して忠実であったことを神と王の前で民に確認しています。それは民が求めた王がこれから民に対してすることとの比較という意味があるのかもしれません。

とはいえ、サムエルは王制を全く否定しているのではなく、神によって立てられた王が神に仕えることによって、民と王が神の恵に預かれることができることを諭しています。イスラエルの歴史は民の背信と神の裁き、そして民が神を呼び求めることによって、神は救いと赦しを民に与えられるということの繰り返しです。

裏切られても愛し続けてくださる神の愛を忘れずに、今をどう生きるかを考えることが大切なのだと思います。

聖書要約
サムエルの告別の辞
サムエルは民に語りかけました。「あなたがたが求めた王を立てた。これからは王があなた方を率いる。今までは私があなた方を率いてきたが、私はこれまでにだれかの牛やろばを取り上げたり、だれかを踏みにじったり、わいろをと取って不正を見逃したりしたことがあるだろうか」と民に問うと、民は「そんなことは全くない」と答えました。そして、さらにサムエルは言いました。「あなた方とあなた方の先祖に行われた神の救いの御業を語りきかせよう。それはヤコブがエジプトに移り住み、その後、民が奴隷の地エジプトで主に助けを叫んだ時、神はモーセとアロンをお遣わしになり、民はエジプトから救い出された。民は約束の地カナンに住むようになってから、偶像を礼拝したため、近隣の国を通して神は民を裁かれた。しかし神は民を見捨てず士師を送って救ってくださった。ところがアンモン人のナハシュが攻めてきたころ、あなたたちは、神があなたたちの王であるにも関わらず、王を求めた。今あなたたちが求めた王がここにいる。民も民に君臨する王もみな神に仕えるなら、神は恵を与えてくださる。しかし背くなら神の裁きが下る」と。そしてサムエルが神に呼び求めると、神は雷を雨を下らせました。民は非常に畏れ、王を求めたことすら罪であったことを認めましたが、サムエルは「神に心を尽くして仕えるなら、神はご自分の民であるあなた方を見捨てる事はなさらない。また私も民のために祈る」」と、繰り返して神に対して罪を犯すことがないように語りました。