サムエル記第一26章 「主は見ておられる」
「主に油注がれた方に手を下して、だれが罰を免れるだろうか。」サムエル記第一26:9
くぅ~ママのちょっと一言
24章とよく似た出来事が起こります。ダビデの命を何度も狙おうとするサウルに仕返しをする2度目の絶好のチャンスがやってきました。部下もサウルの命を奪うことを勧めます。しかし、ダビデはまたしてもサウルを許し和解しようとします。ダビデが
24章とよく似た出来事が起こります。ダビデの命を狙おうとするサウルの命を奪う2度目のチャンスがやってきました。部下もサウルの命を奪うように勧めます。しかし、ダビデはまたしてもサウルを許し和解しようとします。ダビデがサウルに危害を加えなかったのはサウルが神に選ばれた王であるからでした。
クリスチャンは人と平和に暮らすことを大切にします。自分に危害を加える人に対しても!…です。本来ならそのようなことはとてもできることではありません。それを可能にするのは「その人も神が愛されている大切な人」という視点に立つことです。もし「どうしても許せない」時にはダビデがサウルに対して取った行動を思い出したいと思います。またイエスキリストは私たちに7の70倍(無限に)人を許しなさいと教えてくださったことも思い出して、怒りから解放され笑顔になりたいと思います。人に対し、神に対して真実に生きている者を神はよくご存じですから。
聖書要約
ダビデ、サウルを寛大に扱う
ジフ人からダビデがハキラの丘に隠れていると聞いたサウルは3000人の精兵を率いてダビデ討伐に出かけました。ダビデはサウルの陣営に、部下のアビシャイと共に忍び込みました。サウルや王を守るアブネル将軍はじめ、兵士たちも全員ぐっすり眠り込んでいました。アビシャイはダビデにサウルを殺すチャンスであると進言しますが、ダビデは「神が油注がれた者に手をかけてはいけない。神は生きておられる。神がサウルを打たれるだろう」と言って、サウルの枕元にあった槍と水差しを持ち帰りました。誰にも気付かれることはありませんでした。神がぐっすり眠らせてくださっていたからです。ダビデは向こう側の山の頂からアブネル将軍に向かって「神に油注がれた王を守れないとは死に値するぞ。水差しと槍を探してみよ」と言いました。その声を聞いたサウルは「その声はダビデか」と声をかけました。ダビデはサウルに身の潔白と忠誠を語りました。サウルは自分の間違いを認め、二度と危害を加えないと誓い、ダビデの祝福を祈り帰っていきました。