列王記上13章 「聖なることをおろそかに」


「…だれでも志願する者を任職して高き所の祭司にした。」列王記第一13:33

くぅ~ママのちょっと一言
前の章ではヤロブアムの罪は2体の子牛の偶像と神が定めた祭司ではなく、王が祭司を選び、祭儀に介入したことが指摘されましたが、ここでは王が祭壇に犠牲を献げたり、香を焚いたことも指摘されています。
聖なることへの畏敬の念を忘れてはいけません。現代に生きる私たちは多くの律法からは解放され、ただイエスキリストを信じることによって神の子とされる恵に生かされています。しかし洗礼式、聖餐式、主の招命、礼拝、聖会、献金など神との聖なる交わりをおろそかにしてはいけないということを学びたいと思います。

この章で神の人が預言した事はⅡ列王記23章に書かれている南王国ユダのヨシア王による宗教改革によって実現します。

聖書要約
ベテルへの呪い
ヤロブアムがベテルで祭壇に香を焚こうとしていると、神の人が来てこう預言しました。「ダビデの家にヨシアという王が現れ、聖なる高台で礼拝を捧げている祭司達をいけにえとして捧げる。人骨がお前の上で焼かれる。その証拠に祭壇が裂け、脂肪の灰が飛び散る」と。ヤロブアムが「捕まえろ」と手を伸ばすと、その手は麻痺して動かなくなってしまいました。と同時に祭壇が避けて、灰が飛び散りました。王は麻痺した手を元にしてほしいと願ったので、神の人が祈ると手は元に戻りました。王は礼がしたいと神の人を王宮に招きますが、神の人は「ここでパンを食べたり、水を飲んではいけない。来た道に戻ってもいけないと神から命じられている」と言い、他の道を通って帰っていきました。
ところがその話を聞いたベテルに住む老預言者が神の人を追いかけ、「自分も預言者であり、神があなたを自分の家に招き、食事をするようにと言われた」と、引き返すように勧めたのです。神の人はそのとおりにしました。しかし食事中に神が老預言者の口を通して、「あなたは神の命令に従わなかったので、あなたの亡骸は先祖の墓には入れない」と言われたのです。老預言者は神の人をだましたのでした。その言葉通り、神の人がろばに乗って帰る途中に獅子に襲われ、その亡骸は道に打ち捨てられていました。そのことを聞いた老預言者がその場所に行きますと、亡骸の側に獅子とろばが立っていました。この光景を見た老預言者は、神の人が預言したことは必ず起ると確信したのです。しかしこの出来事の後も、ヤロブアム王は聖なる高台の祭司を志望する者を王が任命して祭儀を行わせてのです。ここにヤロブアムの罪があるのです。