列王記第二20章 「涙を見られる神」


「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたのも見た。」列王記第二20:5

くぅ~ママのちょっと一言

後にエルサレムはバビロンによって滅ぼされ、南王国ユダの人々は捕囚の民となります。

ヒゼキヤ王の何がいけなかったのでしょう。ヒゼキヤは神から15年間命を長くして頂くのですが、延命されたその時間をもっと謙虚に、神の栄光のために使うべきだったのです。王はバビロンからやってきた使者に宝物庫などを次々と見せます。王は自分に対して高い評価を得ることを期待していたのでしょう。
そもそも命は自分のものではありません。神から与えられた命であり、神から与えられた今日一日です。不平や不満を言わず、また傲慢な気持ちにならず、神に感謝して、神に喜ばれる一日を送りたいです。

聖書要約
ヒゼキヤの病気
ヒゼキヤ王が重い病気を患いました。預言者イザヤは王の元にきて神の言葉を伝えました。それはこの病気は治らないので遺言を書くようにというものでした。王は顔を壁に向けて神に嘆願しました。「私がいつも神にお従いしてきたことを思い出してください」と。するとイザヤが中庭を出ないうちに神の言葉がイザヤに臨みました。「先祖ダビデの神は王の祈りを聞き、涙を見た。3日後に床から起き上がり、寿命を15年延ばす。アッシリヤから王とこの町を救いだす。それは私自身の栄光の為、わたしのしもべダビデのためである」と。イザヤがいちじくを患部につけるとヒゼキヤ王の病気は回復したのです。イザヤはその証拠として日時計を10度後戻りさせたのです。
バビロンからの見舞い客
バビロンの王がヒゼキヤの病気を聞きつけ使者に手紙と贈り物を見舞いとして託しました。ヒゼキヤはその使者を歓迎して、宝物庫や武器庫のすべてを彼らに見せたのです。預言者イザヤが王を訪れ神の言葉を伝えました。「王宮にある先祖が蓄えてきた全ての物がバビロンに運び去れるときがくる。王子の中には宦官にされるものもある」と。ヒゼキヤは「神がお望みならそれもいいでしょう」と答えました。自分が生きている間は安泰であると考えてほっとしたのでした。