歴代誌第二32章 天に助けを求め叫んだ

「ヒゼキヤ王と、アモツの子、預言者イザヤは、このことについて祈り、天に叫び求めた。」歴代誌第二32:20

助産師永原のちょっと一言
ヒゼキヤ王はアッシリヤと戦って勝利した後病気になりますが、その事は列王記下20章に詳しく書かれています。主に守られ、癒され、赦され、主から豊かな財産を与えられたヒゼキヤ王ですが、結局バビロンからの使者の前でとった態度は謙遜とは程遠かったのです。後にユダはバビロンに財産を奪われ、民は捕囚の民として連行されるのです。
人間の罪の本質は自己中心、傲慢と聖書は私たちに教えています。常に謙遜に生きることは如何に難しいことかと思います。私たちが自己中心ではなく、他者中心、神中心に生きること、そして神のみ前に謙遜に生きることができれば、争いのない真に平和な世界が実現することでしょう。

聖書要約
センナケルブの攻撃
アッシリヤのセンナケルブ王がユダの町を攻め取ろうとした時のことです。ヒゼキヤ王はまず町の外の水をせき止めました。(長い水路を城内に引き込んだ) そして城壁の修理と武器の調達をした上で民に言いました。「アッシリヤの大軍を見ても怖気はならない。われらと共におられる神は敵の力より強い」と。センナケルブは使者を遣わしてエルサレムにいる民に言いました。それは「神が助けてくださるというヒゼキヤ王の言葉など信用してはいけない。周辺のどの国の神も我々の手から救う事はできなかった。お前達の神も同様だ」と。
ヒゼキヤ王と預言者イザヤは主に祈りました。主はその祈りを聞かれ、アッシリヤの軍を絶滅させられたのです。王は面目を失って帰国した時に実の息子の手で暗殺されます。このようにして、ユダはアッシリヤの手から守られます。そのことで周辺の国からも尊敬を集めるようになり、多くの贈り物が届いたのです。
その後王は重い病気にかかりましたが、主の哀れみで癒されます。ところが王は思いあがって感謝を献げなかったのです。そのため主の怒りが下りますが、王が悔い改めことで、それ以来主の怒りは下る事はありませんでした。主は極めて豊かな財産を王に与えられました。
しかしバビロンから使者が来た時にヒゼキヤ王がとった態度を主はご覧になっていました。ヒゼキヤ王の死後その子マナセが王となりました。