エステル記9章 嘆きが祭りに変わった日

「ユダヤ人が敵を亡くしてやすらぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝宴の日とし、贈り物を好感し、貧しい人に施しをすることとした」9:22

くぅ~ママのちょっと一言
残酷なようですが、これは略奪の為ではないことが3度も記されています。捕囚の民が生き残るために必要なことだったのでしょう。そしてプリムの祭りの起源が書かれています。プリムとはプル(くじ)の複数形、くじは1度だけでしたが、祝いの日が2日に亘るのでプリムとなったとのことです。思えばエステルが死を覚悟して王の前に進み出た決断が、ユダヤ人の嘆きを祭りに変えました。願わくは、エステルのように勇気ある決断をしてみ前に進み出て、主の愛が多くの人々に注がれるために、主のご用をさせていただく者になりたいと思います。

聖書要約
ユダヤ人の復讐
運命の日、アダルの日の13日(2月27日)が来ました。ハマンの出した勅令とモルデカイが出した勅令が同時に実行される日です。しかし反ユダヤ勢力は手出しが出来ませんでした。モルデカイを恐れて、役人までもがユダヤ人に味方したからです。その日スサの町だけで500人ものユダヤに敵対する人たちとハマンの子どもたち10人が殺されました。しかしユダヤ人は財産には手をつけませんでした。その報告を受けた王は王妃エステルに「まだ願い事があれば応じよう」と言います。エステルはスサの町だけでいいのでもう1日今日の勅令を出してほしいことと、ハマンの子どもたちを木に吊るすことを願い出ました。
王の許しが出て、翌日は300人の反ユダヤ人が殺害されました。しかし持ち物には手を出しませんでした。諸州で7万5千人が殺害されましたが、やはり持ち物には手を出しませんでした。このことが決行された翌日の14日を祝日として、贈り物を交換し合うようになりました。
プリムは運命の祭り
モルデカイはすべての州に次のような文章を送りました。「毎年アダルの月の14日と15日はユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変った日として祝日とし、贈り物を交換したり貧しい人に施しをしたりする日とする」そしてハマンのたくらみがプル(プル)をひいて決められたことからこの祭りをプリムの祭りとなったのです。