哀歌1章 主の裁きを心に留めよ


彼女は自分の末路を考えない。」哀歌1:9

く~ママのちょっと一言
日本語では哀歌と言う題ですが、へブル語は冒頭のことば「ああ」を取って「エーカー」と言うのだそうです。エルサレムの滅亡を嘆いた歌が集められています。作者はエレミヤと言う説もありますが、そうではないという説の方が有力とのこと。アルファベットの巧みな技法を用いた詩になっているのだそうです。一章は自分たちの罪のために神の裁きを受けたことの痛みと屈辱、神の都から栄光が奪われたことへの嘆き、神が敵に報復していくださるようにとの願いが書かれています。9節に「彼女は行く末を心に留めなかったのだ」とあり、主の裁きが下ることを認めようとしなかったことが書かれています。私たちは神が忍耐して待っていてくださる間に神様の方向に向き直さなければならないのです。

聖書要約
第一の歌(アルファベットによる詩)
かつて人でにぎわっていたエルサレムの通りは今はひっそり静まり返っています。世界の女王ともてはやされた都エルサレムが今は奴隷となり、悲しみにくれる未亡人のように1人座り込んでいます。
涙が止めどもなく流れます。同盟国だった国々は見向きもしてくれません。ユダは苦しんだ挙句、捕囚の民として征服者に連れて行かれ、外国で苦しい生活をしています。
参拝者でにぎわったエルサレムへの道もすっかり寂れてしましました。エルサレムの罪ゆえに神は敵に我々の国を渡されたのです。敵がわがもの顔で振る舞っています。素晴らしい都であったエルサレムが滅ぼされた日のことを忘れることはできません。エルサレムは罪を重ねたので、神に捨てられたのです。神の裁きをを認めようとしなかったのです。その日征服者が神殿を汚し全ての宝物を持ち去りました。かつては神殿に入ることも赦されなかった者たちなのに。バビロン軍によって兵糧攻めになったユダの人々はパンを求めてさまよいます。神さま、私たちがむさぼる様をご覧ください。
道行く人もこれほどの神の裁きを見たことがあるでしょうか。神は天から火を送り、ユダの背きの罪を裁くために敵の手に引き渡されました。神は酒舟を踏むようにわが愛する都を滅ぼされました。
私は神に助けを求めて泣きます。しかし神は遠くに離れてしまわれました。神は正しいお方。私たちが反逆したのです。諸国の人々よ、私たちの痛みに目を留めてください。同盟国に助けを求めましたが、皆助けてくれません。神さまどうか私の苦しみに目を留めてください。私の心は傷つき、魂は苦しみ、もだえます。外には剣、内には病と死が待ち構えています。敵は神さまが私たちに罰を与えたと喜んでいます。しかし神さま、彼らにも同様の裁きが下る日がきっと来ますように。私は呻き続け、立ち上がる気力もありません。