哀歌2章 天から地に投げうたれたイスラエル
「ああ、主は娘シオンを御怒りの雲でおおい、イスラエルの栄えを天から地に投げ落とし、御怒りの日に、ご自分の足台を思い出されなかった。」哀歌2:1
助産師永原のちょっと一言
町が焼かれ、人が殺され、神殿が汚されている様子を描いています。子どもたちがお腹をすかして死んでいく様子からも主の怒りは容赦がなく、徹底的であることがうかがえます。そこに至るまでに主は忍耐をもって主の民に関わられましたが、主の怒りの関が切られてしまったのです。現代に生きる私たちは、神のもっとも激しい怒りの杯を飲まれたイエスキリスト(十字架の死)を信じることによって私たちの罪を神はないものにしてくださるという恵みが与えられています。私たち以上にイスラエルの民の罪が深かったわけではなく、違いと言えば私たちは十字架の愛に守られているという点なのです。
聖書要約第二の歌(アルファベットによる詩)
美しい町エルサレム、神の足台と言われた都が主に見放された。神の憤りは容赦なくイスラエルの家々に臨んだ。神は敵が攻めてきた時、援助の手をひっこめ、神の怒りが烈火となってエルサレムを焼き尽くした。
主は敵のようになってイスラエルを地上から抹殺された。エルサレムの主への祭りや安息日も二度と祝うことが出来ないようにされた。神はご自分の神殿をも見捨てられ、敵が汚すのに負かされた。神はエルサレムを滅ぼそうと決められ、滅亡という測り縄でエルサレムを測ったのだ。城壁も砦も崩れ去った。エルサレムの門はもう役には立たない。主のおきてももはやなく、預言者が言うような幻も見いださない。長老も地に座し嘆き悲しむ。私も涙がかれるまで泣いた。子どもたちも路上で息絶える。幼子がお腹をすかして母にねだりながら衰えていく。あなたがたの深い痛手をだれが癒せよう。宮殿にいた預言者はあなたに偽りばかりを告げた。道行く人はだれも「これが全地の喜びと言われた都なのか」と言う。敵はあなた方を笑い物にして「この都を滅ぼしたぞー」と言う。主は計画したことを実現される方、あなたへの破壊は容赦なかった。敵はそれを見て喜んだ。エルサレムの人々の涙が川になって流れる。主の前にあなたの心を注ぎ出せ。飢えて死んでいく幼子のために命乞いをせよ。主よ、見てください、育てた子を母が食い物にし、祭司が聖所で殺されてもいいのですか。老いも若きも男も女も、みな路上に倒れています。神が怒りを発せられた日に逃げのびることが出来る者は一人もいないのです。