エゼキエル書8章 主への反逆の罪


「わたしも憤って行い、慈しみの目を注ぐことも、憐みをかけることもしない。」8:18
くぅ~ママのちょっと一言
バビロンにいたエゼキエルは主の手によってエルサレムに連れて行かれ、そこで捕囚を免れた人々が行っている主への反逆の罪を見ます。エルサレム滅亡という逆境は彼らが何を拠り所にすべきかを考えるチャンスでもありましたが、エルサレムの人々は主に立ち返らずに、バビロンやエジプトなど周囲の国々の神々に頼む選択をしたのです。もし彼らがイスラエルの歴史を思い出していたなら、主に立ち返れたかもしれません。私たちの信仰も「主が私にしてくださった良きこと」をいつも覚えて感謝をすることが、自分の拠り所を見間違わない生き方だと思います。

聖書要約
グッドエルサレムの堕落
捕囚から6年目のこと。私(エゼキエル)が長老たちと家で話している時、腰から下が火で、上は琥珀に輝く人の姿を見た。その方が手の形をしたものを伸ばして私の髪の毛の束をつかんで宙に持ち上げ、エルサレムの北門に連れて行った。その方が「人の子よ、北の方を見よ」と言われた。そこには主の激怒を招く偶像があった。「さらに忌まわしいものをあなたは見る」と言われて、私は庭の入口に連れて行かれた。壁を掘るように言われて、そのようにすると、そこにはなんとあらゆる種類の蛇やとかげ、ぞっとするような獣の像とあらゆる偶像が壁一面に描かれていた。そこでイスラエルの長老70人が異教の神に使う香炉を手にしてそれらの絵を拝んでいた。彼らは「神はみておられない。ここから去られた」とうそぶいているのだとその方は言われた。
その方は私を北の門に連れて行った。そこには婦人たちが座っていて、異教の神タンムズのために泣いていた。「さらに忌まわしいものをあなたは見る」と言われ、神殿の中庭に連れて行かれた。そこでは25人ばかりの人たちが神殿に背を向けて太陽を拝んでいた。あなたはイスラエルの民がこんなにも罪を犯しているのを見たか。彼らが神である私を鼻であしらうのなら、私も彼らを激しい怒りを持って彼らをあしらう。彼らが助けを求めても私は聞かない。