エゼキエル書14章 どんなに罪が深いか

「たとえ、そこにノアとダニエルとヨブの、これら三人の者がいても、彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ」エゼキエル14:14

くぅ~ママのちょっと一言
捕囚としてバビロンで生活を始めたイスラエルの人々の中にはバビロンの神々を信じる者もいたでしょう。また彼らは始祖の信仰の故に自分たちは滅ぼされないという思いがあったようですが、それは完全に否定されます。
キリスト教は個人の宗教です。クリスチャンホームで育ったから、クリスチャンというわけではありません。自分自身が神を主と告白し、神の言葉に従って生きて行きていこうと1歩を踏み出さなければばりません。神はその人の人生にご介入下さり、力を与え、最善の道を備えてくださいます。個人的にこのような経験をすることが必要なのです。

聖書要約
イスラエルの長老が私(エゼキエル)の所に来て神のお告げをうかがってほしいと言いました。その時神の言葉が私に臨みました「人の子よ、彼らは心の中で偶像礼拝をしながら、平気で私の言葉を求めにきた。そのような不届き者は私が罰する。私から離れて偶像礼拝をしていながら、私の言葉を求めて預言者の元に来る者たちも私は罰する。イスラエルの民の中から絶ち滅ぼす。それは二度とイスラエルの民が私から離れないようになるためです。このようにして彼らは私の民となり、私は彼らの神となる」と。さらに神の言葉が臨んだ。「エルサレムの民が私に対して不信を重ねるなら、私は飢饉や危険な野獣や剣、伝染病で国を滅ぼす。そこにノアとモーセとダニエルがいたとしても、彼らのゆえに滅ぼされないと思ってはいけない。救われるのは彼ら3人だけだ。もしエルサレムで生き残る者がいて、バビロンに連れて来られて、彼らがどんなに罪深いかを見たら、エルサレムが滅ぼされるのも当然なのが分かるであろう。