エゼキエル書15章 役に立たないぶどうの木
「何か役に立つものを作る木材が、そこからとれるというのか。」エゼキエル15:3
助産師永原のちょっと一言
ぶどうの木そのものは何の役にも立たないそうです。またちゃんと手入れしないとすぐに野生のぶどうをつけるようになってしまうとか。
神さまは私たちをよくぶどうの木にたとえられました。ある個所では実をつけないぶどうの木は切ってしまうと。ブドウは実をつけることで役に立つのですが、私たちは立派な実をつけることができるでしょうか。いや本当に収穫できるぶどうの木なのでしょうか。立派な実をつけることが出来なくても、収穫できる木でなくても、「切り倒さないでください。私が手入れしてみますから」と、いつも執り成してくださるのがイエスキリストなのです。その愛ゆえに私たちは今日も主のみ前で生きることが出来るのです。
聖書要約役に立たぬぶどうの木
神からの言葉が私に臨んだ「人の子よ、森のぶどうの木にどれほどの価値があろうか。ぶどうの木は木釘になるほど強くなく、燃やしてもいい薪でもない。エルサレムの人々もぶどうの木のようなもの。私はエルサレムの民を火に投げ込む。その時彼らは私が神であることを知るようになる。彼らが偶像礼拝を止めないので私は彼らの地を荒廃させる。」と。