エゼキエル書17章 高ぶることなく従順に


「それは、この王国を低くして立ち上がれないようにし、その契約を守らせて存続させるためであった。」エゼキエル17:14

助産師永原のちょっと一言
BC597年の第2回捕囚からエルサレム陥落に至るまでのユダの外交の問題をたとえ話しで神は指摘されたのです。最後の「一番高いレバノン杉のてっぺん」とはメシア預言を表し、前の記事とは直接関係がありません。後代の弟子の加筆とのことです。バビロン捕囚は主が決められたことであり、それは預言者によって示されていたことが現実になったこと悟らなければならなかったことでしょう。主が決められたことは自分にとってどんなに都合の悪いことでも「従います」と言わざるを得ないのです。後に用意されている主の祝福を信じて。

聖書要約
グッド二羽の鷲とぶどうの木
主の言葉が次のように語られました。「人の子よ、イスラエルの民に向かって、次のなぞかけを主の言葉として伝えなさい。色とりどりの大きな鷲がレバノンに飛んできて、一番高い杉の木のてっぺんの若枝を摘み取って商業の町に運んだ。早く育つように、大きな川のほとりに植えた。やがて生長し、たけは低いがよく茂るぶどうとなった。根は鷲の下にはり、若枝を広げた。
もう一羽の大きな鷲がいた。このぶどうの木は植えられた場所から、根と枝を鷲の方に向けて水を得ようとした。神はこの木を繁栄させるだろうか。否、神はこの木を枯らされる。東風が吹いてみごとに枯れてしまうだろう。」
主はまた語られました。「二羽の鷲の例えが分からないのか。最初のわしはバビロン王、てっぺんの若枝はイスラエルの王を表す。バビロンはイスラエルに従順に従うように誓いを立てることによって、バビロンの支配の中ではあるが、繁栄を約束されていた。しかしイスラエルの王ゼデキヤは誓いを無視して、もう一つの鷲であるエジプトに軍勢を得ようとした。このためにゼデキヤはバビロンで死に、エルサレムはバビロンに包囲され、多くの者が殺される。エジプトは助けてくれない。
主は言われる、私は生きている。私の名に置いて誓ったことを守らなかった時は必ず報いがある。」
また主は語られました。「わたしは一番高いレバノン杉のてっぺんから若枝を摘み取り、イスラエルの一番高い山に植える。木はやがて枝を伸ばし、実を結んで立派な杉の木になる。そこにあらゆる種類の鳥が巣を作る。枯れた木を生き返らせるは主なる神である。