エゼキエル書34章 一人の牧者を起こす
「 わたしは、彼らを牧する一人の牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、その牧者となる。」エゼキエル書34:23
くぅ~ママのちょっと一言
イスラエルの民を神から世話をするように委託された指導者に対する裁きと、主なる神が散らされた民を再びわが民として集められることと、メシアの時代が訪れることが書かれています。それはダビデの子孫から出る牧者なのだと。すでにエルサレムは陥落してしまいましたが、エゼキエルはその時から回復の預言、イスラエルに希望のメシアが与えられと預言を始めたのでした。
私たち主の言葉を頂いたクリスチャンも、希望を見出せないような時にこそ、皆の元気が出るような希望のメッセージを語ることが務めなのだと思います。
聖書要約
イスラエルの牧者
主がお語りになりました。「人の子よ、イスラエルの指導者に預言せよ。羊の世話はそっちのけで自分の私腹を肥やすことしか考えていない羊飼いは災いだ。羊飼いであるこの国の指導者たちは最上のものを食べ、最上の服を着ているのに、羊である民たちは飢えている。弱い民たちの世話をせず、病気のものの介抱をせず、傷ついたものに手当をしてやらなかった。迷いだしたものを捜さず、それどころか可酷に支配した。だから民たちは散らされ、獣の餌食になった。指導者たちよ。私の言葉を聞け。私は生きている。あなたたちは本当の羊飼い、指導者ではない。だから羊、すなわちイスラエルの民たちに降りかかった災いの責任をあなたたちに問う。あなたたちには羊を飼わすことはない。私が彼らを救い出す。」と。
神は語られます。「私は散らされた民たちを捜し出し、イスラエルに連れて帰り、よく肥えた牧草地で養う。権力をふるっていた指導者たちには罰を下す。」
また主は民に対してお語りになります。「私は民たちの間、また指導者たちの間の争いも裁く。あなたたちはよい牧草地を与えられていながら、我先に草を食べ、澄んだ水を飲む。他の者は踏みつけられた草を食べ、足で水をかきまわされた水を飲む。こんなことがあっていいのだろうか。だから肥えた羊と痩せた羊との間を裁いて、弱い者が虐げられることがないようにする。
私は一人の羊飼いを立てよう。それは私の忠実な僕ダビデだ。ダビデがこの国の君主となる。民が安心して住むことができるように、私が彼らとの間に平和の契約を結び、祝福を与え、恵みを与える。私が彼らの首にかけられたくびきを壊して、奴隷の身から自由にするとき、あなたたちは私が主であることを知る。二度と諸国の略奪に遭わせることはない。私はあなた方のために苗木を(メシア)を起こす。その時、私があなた方と共にいる主なる神であり、あなた方はわが民、イスラエルの家であることを知る。