エゼキエル書44章 聖と俗の区別
「彼らはわたしの民に、聖なるものと俗なるものとの違いを教え、汚れたものときよいものとの区別を告げ知らせなければならない。」エゼキエル書44:23
くぅ~ママのちょっと一言
神が入られた東の門は閉ざされて、誰も入ることが出来なくなったことが書かれています。それは神が二度とそこから立ち去らないことを示すことでもあるとのこと。二度とイスラエルの民から離れないということです。そう言われる神はイスラエルに聖となることを求められます。民が聖さを見失うことがないように、ここではまず祭司が聖さを保つことを求められています。
この世にあってクリスチャンが聖さを失ったら、この世は悪に完全に染まってしまいます。クリスチャンの聖さはこの世の人に本当の愛を示すことであり、本当の平和を願うことであります。その方法はターバンを巻くことでも、亜麻布の服を着ることでもなく、ただ主イエスキリストが私の罪のために十字架にお架かりになったことを信じることなのです。
聖書要約
神は私を東の門に連れ戻しました。その門は閉ざされていました。神がここからお入りになったからです。王であっても門の玄関を出入りしてはいけません。
祭司の務め
それから神は私を北の門から神殿の正面に連れて行かれました。神殿には主の栄光が満ちていました。私がひれ伏すと、神はお語りになりました。「人の子よ、私が示すことを一つも漏らさず心に留めなさい。『イスラエルの民はなんと罪を犯してきたことか。神を知らず、信じていない外国人を神殿に入れ、私との契約を破った。神殿に入ることが許される者とそうでない者を区別せよ。わたしを信じない者は聖所に入れてはいけない。またレビ人でも神から離れて偶像礼拝をした者は神聖なものに触ることができない。罪の責任として民に仕えよ。レビ人の中でもツァドクの子孫だけはどんな時でも祭司としての職務を忠実に果たしてきたので、この者たちが私に仕える者となるように。彼らが門から内庭にはいる時は亜麻布の衣服を着るように。羊毛の者は着てはいけない。ターバンを巻き、短いズボンをはき、汗をかかないようにする。外庭に出るときはそれらの衣服を脱ぐ。髪の毛は長すぎてもいけないが、剃ってもいけない。結婚はユダの処女の女性か、祭司の未亡人に限る。祭司は民に聖なるものと俗なるものを教えなければならない。また争いの調停を神の律法に従って行う裁判官の役割も負う。祭司は死体に近づいてはいけない。両親、子ども、兄弟、未婚の姉妹は例外とする。祭司は私財を持ってはいけない。神ご自身が彼らの相続だからだ。神にささげられる物はなんでも彼らの者となる。祭司は自然に死んだり、殺された鳥や動物に肉を食べてはいけない』