マタイによる福音書3章 聖霊なる神の力を頂いて


「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」マタイ3:17

くぅ~ママのちょっと一言
ヨハネはイエスの母、マリアのおばであるエリサベトに年老いてから与えられた子どもです。ヨハネは人類の救いと言う神様の壮大なプロジェクトのキーパーソンの一人として誕生します。ルカによる福音書にはヨハネのことがもう少し詳しく書かれています。ヨハネの役割は律法から福音への橋渡しという重要な役割です。
律法とは旧約の時代神と人類との間にかわされた古い契約であり、「律法を守れば救われる」という契約です。しかしその契約は律法(善)を行おうとしても行いきれない私たちの罪が明らかにされるものでもありました。しかしその律法の時代は終わりを告げ、新たな福音の時代が幕を開けます。福音とはキリストを信じることによって救われるという新しい契約です。そのことを民に告げることがヨハネの役割でした。パリサイ派は極端な律法主義者、サドカイは裕福な祭司階級の人々です。
ヨハネのもうひとつの役割は神さまの御子イエス・キリストを紹介することでした。
イエスはまずヨハネから洗礼を受けられます。そのとき神の霊のようなものが下ったと記されています。聖霊は神さまから私たちに与えられる力です。聖霊のことはペンテコステの記事のところに詳しく書かれています。この後イエスの公生涯(宣教活動)が始まります。4章からそのことが書かれています。2章がイエスの誕生の話でしたが、3章ではイエスが30歳になられた頃の話に時が飛んでいるので、そのようなつもりで読むと分かりやすいです。

聖書要約
洗礼者ヨハネ、教えを宣べる
ヨセフ一家がナザレで住んでいた頃、バプテスマのヨハネが荒野で「悔い改めよ、神に立ち返れ、天国を近づいた」と、宣べ伝え始めていました。このことは数百年も前に預言者イザヤが語っていたことでした。すなわち「荒野かで叫ぶ者の声がする。主の道を整え、主の道筋をまっすぐにせよ」と。ヨハネはラクダの毛衣を着て、皮の紐を腰に巻いて、食べ物はいなごと蜂蜜だけという質素な生活ぶりでした。このヨハネの教えを聞き、洗礼を受けようとユダヤ全土から民がやってきました。パリサイ人やサドカイ人も大勢やってきて洗礼を受けようとしましたが、ヨハネは「悔い改めにふさわしい行いをしなければ、神の裁きから逃れられない。『自分はユダヤ人だから大丈夫』などと思ってもみるな」と手厳しく非難しました。また「主は石ころからでもアブラハムの子孫である彼らを作ることは出来る。主は民を裁くために、今まさに斧が振りかざしておらる。良い実を結ばない木は切り倒される。私は悔い改めのために水で洗礼を授けているが、まもなく来られるその方は、比べることもできないほど偉大なお方で、私はその方の履物を脱がせる値打ちもない。その方は火と聖霊によって洗礼をお授けになり、もみ殻ともみをふるい分けて、殻を焼き尽くされる。」と言いました。
イエス、洗礼(バプテスマ)を受ける
その頃、イエスはガリラヤからヨルダン川に来て、ヨハネから洗礼を受けようとされました。ヨハネは「とんでもない。私があなたから洗礼をうけなければなりません」と言いましたが、主イエスは「今は止めないでほしい。なすべきことは全てしなければなりません」と言い、ヨハネから洗礼を受けられました。イエスが水から上がられた時、神の霊が天から鳩のように下って来るのをご覧になった。その時、「これはわたしの愛する子、わたしは彼を心から喜んでいる」という声が天から聞こえてきました。