マタイによる福音書18章 迷い出た羊


「もしある人にが百匹いて、そのうちの一匹が迷い出たら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。」マタイ18:12

くぅ~ママのちょっと一言
「謙遜」は天国の門の入門許可証です。自分の力や地位を自慢するのではなく。子どものようになって神の御前に立ちたいと思います。神は小さな、弱いものを特別に省みてくださいます。イエスは迷い出た1匹の羊を救うためにこの世に来てくださいました。見つけ出されてイエスの懐に抱かれているのはこの私であることをいつも忘れずに感謝したいと思います。
21節では赦すことの新しい考えが示されました。当時のユダヤでは3度まで赦しなさいと言われていたようですが、ペテロはそれよりはるかに多い、7度と言う数を出しました。しかしイエス様の答えは「その70倍」でした。7は完全数であり、無限にという意味で使われています。主は、イエスの十字架の死によって、私の罪を赦してくださり、帳消しにしてくださいました。この無条件の神の愛の中で、今日も生かされていることを知ることによって、無限に赦すことが可能になるのです。

聖書要約
天の国でいちばん偉い者
弟子たちがイエスに「私たちの内、だれが天国で一番偉いか」と尋ねました。イエスは小さな子どもを真ん中に立たせ、「悔い改めて神に立ち返り、小さな子どものようになる者が天に入ることが出来ます。そして小さな子どものように自分を低くする者が天国では一番偉いのです。そしてこの小さな者を大切にすることは、私を大切にすることです。」と言われました。
罪への誘惑
神を信頼しきっている子どもの信仰を失わせる者は大きな石を首にくくりつけられて、海に投げ込まれる方がましです」と言われました。もし自分の片手や片目が罪を犯すのであれば、それを切り取ってしまいなさい。五体満足で地獄に行くより、片手、片目で天国に行く方がましです。
「迷い出た羊」のたとえ
小さな子どもたちを決して見下げてはいけません。天国では子どもを守る天使がいつでも父なる神のそば近くにいます。ある人が羊を100匹持っていました。そのうち1匹が迷い出ていなくなってしまったらその人はどうするでしょうか。他の99匹を残して、一匹を捜しに山に出かけるでしょう。そして見つかったら、迷わずにいた99匹以上に、この一匹のことを喜ぶでしょう。同じように、父なる神も小さな者の一人でも滅びないようにと願っておられるのです。
兄弟の忠告
兄弟があなたに対して罪を犯していたら、2人だけで忠告しなさい。聞き入れてくれたらあなたは友を得ることになります。もしだめなら2、3人の証人を立てて話しなさい。それでもだめなら、教会に解決を任せなさい。それでもだめならその人との交わりを止めなさい。この地上で赦したり、禁じたりすることは天でも同じようにされます。どんな願いでも二人が地上で心を一つにするなら神はかなえてくださいます。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。
「仲間を赦さない家来」のたとえ
ペテロがイエスに聞きました。「主よ、兄弟を何回赦したらいいでしょうか。7回までですか」と。イエスは「7の70倍赦しなさい」と言われ、次のように天国をたとえられました。王が家来に貸した巨額の金の返済を迫ります。家来は「待って下さい。」としきりに願うので、王は帳消しにしてやりました。ところが赦された家来はお金を貸した友だちに返済を迫った上、牢屋に入れてしまったのです。それを聞いた王は家来に「あなたが赦されたように、友だちを赦すべきではなかったか」と牢に入れてしまいました。あなた方も心から友を赦さないなら、天の父はあなたを同じようにされます。