マタイによる福音書19章 永遠の命と真実な愛


それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」マタイ19:26

くぅ~ママのちょっと一言
イエスのところにやってきた青年は小さな時から律法を全て守ってきたといいます。でも永遠の命を得たと言う確信が持てなかったのです。 イエスの指摘は律法を形式的に守るのではなく、心が伴っていたかということだったのでしょう。自分の立場を崩さずに差し出す愛は本当の愛とは言えません。愛は痛みを伴います。 しかし私たちがそのような愛を持つことは難しいことです。それをイエスは「らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言われたのです。この針の穴とは一人の人がやっと通れるくらいの小さな門のことなど諸説あるようですが、どちらにして不可能を表す言葉です。では私たち人間の世界には本当の愛は存在しないのでしょうか。答えは26節にあります。「それは人間にはできることではないが、神にはなんでもできる」のです。イエスの十字架の死によって罪赦されて、永遠の命を頂いている恵の中で生きるなら、偽善とは全く違う本当の愛の世界を手にすることが出来るのです。

聖書要約
グッド離縁について教える
イエスはユダや地方に行かれました。そこでも群衆が従ってきたので、人々の病気をいやされました。
パリサイ派の人々がイエスを罠にかけようと近づいてきて言いました。「何か理由があれば、離婚してもいいとお考えですか」と。イエスは「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」とお答えになりました。すると彼らは尋ねました。「なぜモーセは離縁状を渡して離縁するように命じたのか」と。イエスは「モーセがそう言ったのはあなた方の心がかたくなだからです。不倫以外の理由で妻を離縁し、他の女性と結婚するのは姦淫の罪を犯すのと同じです」とお答えになりました「独身で通すことはだれにでも出来ることではありません。結婚をする能力が備わっていない人もいるし、そのように人の手でされた人もいます。天国のために自ら進んで結婚をしない人もいます。これを受け入れることができるならそうしなさい」とイエスは弟子たちに教えられました。
子供を祝福する 人々が子どもたちを連れてきました。弟子たちが叱ると、イエスは「子どもたちを来させなさい。天国はこのような者たちのものである」と言われ、子どもたちに手を置いて祝福されました。
グッド金持ちの青年
一人の青年がイエスに尋ねました。「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょう」と。イエスが「永遠の命がほしいなら神の掟を守りなさい」と言うと、青年は「どの掟でしょうか」と尋ねました。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、隣人を自分のように愛しなさい」とイエスが言うと、青年は「それらのことはすべて守ってきました。他にすることがあるでしょうか」と言います。イエスは「もし完全になりたいのなら財産を全部売り払い、貧しい人に分けてあげなさい。そうすれば天に宝を積むことになる。そして私に従ってきなさい」と教えました。それを聞いた青年は悲しそうに帰って行きました。大変な金持ちだったからです。
イエスは弟子に言われました。「金持ちが天国に入るのはなんと難しいことでしょう。ラクダが針の穴を通る方が優しいことです」と。弟子たちは驚き、「それなら救われる人などいるのだろうか」と思いました。「人間には出来ませんが、神には何でもできます」とイエスはお答えになりました。ペテロが「私たちは何もかも捨てて従ってきました」と言うと、「メシア(救い主)である私が新しい世界の王座につく時、あなたたちも12の座に座ってイスラエルの12部族を裁くのです。わたしに従うために家や親族、財産を捨てた者はその百倍の報いを受け、永遠の命まで頂くことができます。ただ今は先頭を行くように見える者が、その時には最後になり、今は最後にいるように見えてもその時には先頭になる者が大勢います。」とイエスはお答えになりました。