マタイによる福音書20章 深く憐れんで下さるイエスの愛


イエスは深くあわれんで、彼らの目に触れられた。」マタイ20:34

くぅ~ママのちょっと一言
マタイ20章は19章の30節の「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」を受けて話が始まります。天国とはまさにそんなところだということで、ぶどう園に雇われた人たちの例え話が始まります。自分が何時に雇われた者と考えるかで受け止め方が変ってきます。夕方5時に雇われたようなわたしにも、神は「最後のあなたにも1デナリ払ってやりたいんだ」と言ってくださることに心を留めたいと思います。神さまの恵に理屈はありません。わたしたちを憐れんで下さる愛をただ感謝して頂くだけでいいのです。
20節では十字架の死の予告を受けたすぐ後に、弟子達の地位争いが始まります。弟子たちのメシア像は華々しく栄光を得ることを想像していたのでしょう。それにたいして、イエスはご自身が仕える僕として、命をささげる為にこの世に来たように、あなた方も仕え合いなさいとおっしゃったのです。

聖書要約
グッド「ぶどう園の労働者」のたとえ
天国は次のようにたとえられます。農園の経営者が果樹園で働いてくれる人を雇おうと朝早く広場に出かけました。1日1デナリオンの約束で労働者を雇いました。さらに9時12時3時にも広場に行って労働者を雇いました。夕方5時と広場に行ってみると、まだ立っている人がいました。「誰も雇ってくれる人がいない」というその人たちも雇いました。さて夕方になって賃金を払うために労働者が呼び集められました。会計係は最後に雇った人から順に日当が支払いました。5時から働いた人に1デナリオン支払われたので、朝早くから働いている人はもっともらえるだろうと思いましたが、支払われたのは同じ1デナリオン。当てが外れた人が文句を言うと、農園主は「あなたとの約束を破ったわけではない。わたしは最後の者にも同じようにしてやりたいのだ。あなたはわたしが気前のよさをねたむのか。このように最後の者が最初になり、最初の者が最後になるのです」と言いました。
グッドイエス、三度死と復活を予告する
イエスはエルサレムに登っていく途中、12弟子に言われました。「人の子は祭司長や律法学者に引き渡され、死刑を宣告されローマ兵の手で十字架に架けれらます。しかしわたしは3日目に復活します」
グッドヤコブとヨハネの母の願い
そのときゼベダイの息子たちの母が息子たちを連れてイエスの所に来て言いました。「あなたが王座におつきになる時、息子たちをあなたの次に高い位につかせてください」イエスは「あなたは何も分かっていません」そしてヤコブとヨハネを見て「あなた方はわたしが飲もうとしている杯を呑むことができるか」と言われました。二人は「出来ます」と答えました。イエスは「わたしの右と左に座る者は父なる神がお決めになること」とお答えになりました。そしてそのことを聞いて腹を立てた他の弟子たちも集められて言われました「この世では王や役人は部下の者に威張り散らす。しかしあなた方の間では偉くなりたい者は皆に仕える者になりなさい。メシアであるわたしは仕えられるためではなく、仕えるために来たのです。そればかりかあなたたちの罪の代償として命を与えるためにきたのです。あなたたちもわたしに倣いなさい。
グッド二人の盲人をいやす
エリコの町をでると大勢の人が後をついてきました。道端に座っている二人の盲人が「ダビデの子よ、私共を憐れんで下さい」と叫びました。イエスは心からかわいそうに思い、彼らの目におさわりになりました。するとたちまち目が見えるようになり、二人はイエスについて行きました。