マタイによる福音書21章 主に用いられた子ろばのごとく


「主がお入り用なのです」マタイ21:3

くぅ~ママのちょっと一言
「主がお入り用なのです」とは旧約聖書のゼカリヤ書に書かれています。イエスは立派な馬でもなく、戦車でもなく、子ロバにのって都エルサレムに入城されました。沿道では人々が「ホサナ、ホサナ、ダビデの子」と歓喜の声をあげます。ホサナとは「救いが私にあるように」という意味です。その中を小さな子ロバは胸をはって、足を踏ん張って得意顔でイエス様をお乗せしたのではないかと想像します。 わたしも「主の用なり」というみ声にしっかりとお応えしながら、信仰生活を続けていきたいと思います。

聖書要約
グッドエルサレムに迎えられる
一行がエルサレムに近づいた時、イエスは「村に入ると一頭のろばが子ろばとつないである。そのろばを連れて来なさい。もし何をしているのかと言われたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい」と言われました。弟子たちは言われたとおり、ろばを連れてきて、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになりました。大勢の人が自分の服を道に敷き、イエスに従いまいた。「ダビデ王の子にホザナ、主をほめたたえよ」と叫びました。
グッド神殿から商人を追い出す
イエスは神殿に入り、境内で商売をしていた者たちを追い払われ「わたしの神殿は祈りの家を呼ばれるべきなのに、あなた方は強盗の巣にしている」と言われました。すると体の不自由な人たちがやってきたので、彼らを癒されました。祭司長やユダヤの指導者がやってきて、不思議な奇跡や子どもたちまでが「ダビデの子にホザナ」と言っているのに腹を立てて、イエスに抗議しました。
いちじくの木を呪う
朝早く都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられましたが、道端のいちじくの木には葉しかありませんでした。イエスが「お前には実がならないように」と言われるとたちまち枯れてしまいました。弟子たちは驚きましたが、イエスは「信仰を持ち疑わないなら、いちじくに起こったようなことばかりでなく、求めるものはなんでも与えられる」と言われました。
グッド権威について
イエスが神殿で教えておられると祭司長は長老がやってきて「何の権威でしているか」と聞きました。イエスは逆に尋ねました。「バプテスマのヨハネは神から遣わされた者か、単なる人か」と。彼らは答えることができませんでした。イエスも「それならわたしもさっきの質問には答えません」と言われました。
グッド「二人の息子」のたとえ
イエスは彼らに別の質問をしました。「ぶどう園で働くように言われた二人の息子がいた。兄は『行ってきます』と言ったのに行かなかった。弟は『行くのは嫌です』と言ったけど、思いなおして働きに行った。父の言うことを聞いたのはどちらか」と。彼らは「弟だ」と答えました。「バプテスマのヨハネが来て悔い改めるように言ったが、あなた方は聞かなかった。徴税人や売春婦は言われたとおりにした。もう一つ例え話をしよう。『農園主が農夫にぶどう畑を任せて外国に行った。収穫時期に代理人を送って自分の取り分を受け取ろうとしたが、農夫たちは袋叩きにしてしまった。さらに多くの人を送ったが同様であった。農園主は自分の息子なら敬ってくれるだろうと送りだしたが、農夫たちは息子を殺してしまった。農園主が帰ってきたらどうなるだろうか』彼らは『ちゃんと小作料を払う他の農夫たちに貸すでしょう』と答えた。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」と聖書に書いてあるように、神の国はあなた方から取り上げられ、ふさわしい実を結ぶ者に与えられます。祭司長たちはこれを聞いてイエスを捕えようとしましたが、群集を恐れてできませんでした。