マルコによる福音書14章 御心のままに
「しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」マルコ14:36
くぅ~ママのちょっと一言
いよいよ十字架が近くなってきました。
それはユダヤ人の過越祭の時に起こりました。エルサレムではその祭りのために大勢の人たちが集まってきました。
3節の香油を注ぎかけた女性はイエスへの精一杯の愛を表しました。愛の行為は合理的な生き方からすると無駄のように思えることが多いかもしれません。しかしクリスチャンの行動の動機は、神はどう見られるかということが基準になります。この女性の行動はまさに神のみこころに適う行為でした。
マルコの福音書には書かれていませんが、この香油を非難をしたユダはその後イエスを裏切る行動に出ます。神のみ心(神さまが計画されていること)に反した思いを持つことはなんと怖いことかと思います。聖霊の流れ、聖霊の働きを止めるようなこと、すなわち神に反する思いを持たないことが、私達が神の側で守られて生きる道なのかと思います。サタンにすきを与えてはいけません。
十字架を前にイエスはゲッセマネで祈られます。
その祈りは①神さまは何でもおできになります。②この杯(十字架)を取り除いてください③しかし私が願うことではなく、御心に適うことが行われますようにと言う祈りでした。
神に願い求める祈りをする時に祈りの最後には「しかしわたしの思いではなく御心に適うことが行われますように」と祈る者でありたいです。
聖書要約
イエスを殺す計画
過越祭の2日前、祭司長や律法学者たちはイエスを殺そうと考えていました。
ベタニアで香油を注がれる
イエスがベタニアで皮膚病を患っているシモンの家におられる時、1人の女性がやってきて、高価な香油をイエスの頭から注ぎかけました。居合わせた人はそれを無駄と非難しましたが、イエスは「この人は精一杯のことをしてくれた。これは私の葬りの準備だ」と言われました。
ユダ、裏切りを企てる
12人の弟子の1人であるユダがイエスを引き渡すために祭司長のところに出かけていきました。
過越の食事をする
過越祭の初日、弟子たちが食事の準備をどのようにするかイエスに尋ねました。イエスは都に行って、水瓶を運んでいる人について行くように言われました。行ったところにはすっかり用意された2階の広間がありました。夕方イエスと弟子はそこに行って食卓を囲みました。その時イエスは「弟子の中にわたしを裏切る者がいる。それは同じ鉢にパンを浸している者である。旧約聖書に書いてある通り人の子は去っていくが、人の子を裏切った者は生まれてこなかった方がよかった」と言われました。
主の晩餐
食事をしている時、イエスはパンを取って賛美して祈り、それを裂き、「取りなさい。これはわたしの体である」そして杯を取り感謝して彼らに渡し、「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言われました。それから一同は賛美してオリーブ山に出かけられました。
ペテロの離反の予告する
イエスは弟子達に「あなた方は皆わたしをと見捨てるでしょう」と言われました。しかしペテロは「皆が裏切ったとしても、わたしはあなたを裏切らない」と否定します。イエスは「今日鶏が2度鳴く前に3度私のことを知らないと言うだろう」とペテロに言われました。
ゲッセマネの祈り
イエスはペテロ、ヤコブ、ヨハネを伴ってゲッセマネで十字架を前に苦しみもだえながら祈られました。「父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけて下さい。しかしわたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」その間3人は目を覚ましていることができませんでした。
裏切られ、逮捕される
ユダがイエスを捕らえるために祭司長や律法学者などと一緒にやってきましたが、弟子達は逃げてしまいました。
一人の若者、逃げる
イエスについていこうとしたただ一人の弟子も見つかってしまい、服を引きちぎられ裸で逃げてしまいました(マルコ本人とのこと)
最高法院で裁判を受ける
イエスを有罪にしようと色々な証言がされますが、決め手がありませんでしたが、大祭司が「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と聞いたことに対して「そうです」と答えられたことで、罪が決定されました。役人たちはイエスに唾をかけたり、殴ったりしてあざけりました。
ペテロ3度否定する
心配になって大祭司の庭にこっそり入ったペテロは女中達から「イエスと一緒にいた」と言われるのですが否定します。3度否定した時、鶏の鳴き声がしました。そのときイエスの予告を思い出して、ペテロは激しく泣きました。