ローマ人への手紙11章 全世界の救いのご計画
「 ですから、同じように今この時にも、恵みの選びによって残された者たちがいます。」ローマ11:5
くぅ~ママのちょっと一言
12章ではイスラエルの民は神に見捨てられたのかという疑問に対して神の素晴らしいご計画が明らかにされます。それは全世界に福音が伝えられ、そして神の民であるイスラエルに再びこの福音が渡されることなのです。イスラエルの族長(先祖)が神に聖別されているので、その子孫も聖別されているのだからとイスラエルの救いが特別のものであることをパウロは説明します。
「全世界に出て行って福音を宣べ伝えよ」という主の大宣教命令により、日本にもキリスト教が伝えられたのですが、世界の隅々にまで福音、聖書がいきわたり、神の愛するイスラエル人が救われ、神の約束のとおり、世界に平和が訪れる日が一日も早く来ますようにと願います。
聖書要約
イスラエルの残りの者
神はイスラエルの民を見捨てられたのではありません。この私(パウロ)もユダヤ人であり、アブラハムの子孫、しかもべニアミン族の一人ですが、神から見捨てられていません。預言者エリヤが王に命を狙われていた時に「今なおあなたを愛している者は私一人です」と主に訴えると、主は「バアルにひざまづかなった7千人が主に従う者として残されている」ことを示されました。今も神によって選ばれ、救われている者が少数います。その少数の人が救われたのは、よい行いをしたからではなく、ただ神の愛によるものです。神はその他の人たちの目をさえぎられたのです。イザヤ書には「神は、彼らに鈍い心、見えない目、聞こえない耳を与えられた、今日に至るまで」と書いあり、ダビデもまた「彼らの目はくらんで見えなくなるように。彼らの背をいつも曲げておいてください」と言いました。
異邦人の救い
目をさえぎられた多くのユダヤ人は見捨てられたのでしょうか。いやそうではありません。そのことによって神の救いがユダヤ人以外の外国人にも及ぶ為です。そしてその外国人が救われるということで、ユダヤ人の心にねたみを起こさせ、最終的にはユダヤ人も救いを受けることになれば、どんなに素晴らしいことでしょう。外国人の救いという重要な働きに召されている私(パウロ)ですが、そのことによって、イスラエルのねたみから救いに導かれる事になれば、それは死者が生き返るのと同じほど素晴らしいことです。根が清ければ枝も清いのです、しかしその枝(イスラエル)は切り落とされてしまい、外国人で接木されました。接木されて根から養分をいただけるようになったからといって自慢してはいけません。枝は誇ることができないのです。なぜなら枝葉木の一部に過ぎず、支えているのは根なのだからです。。ただ信じたから接木されたのです。思い上がったりしたら切り取るのは容易いことです。しかし神の愛に留まる限り恵を頂くことが出来るのです。そしてあなたがたが接木されるのであれば、元々の枝が再び接木される(イスラエルの救い)事はもっと容易いことなのです。
イスラエルの再興
多くのユダヤ人たちがキリストに反対しているのですが、この状態が続くのは、外国の全ての人々に福音が知らせれるまでなのです。その時がくればユダヤの人々も皆救われます。イザヤ書に「救う方がシオンから来て、ヤコブから不信心を遠ざける。これこそ、わたしが彼らの罪を取り除くときに、彼らと結ぶわたしの契約である」と。そしてあなた方はかっては不従順でしたが、今は救いを頂いています。イスラエルの人々も今は不従順ですが、いつの日か救われる日がきます。神の愛は偉大で素晴らしく、私たちの理解の及ぶところではありません。すべてのものは神からでて、すべてのものは神に栄光のためにあるのです。