レビ記27章 「十分の一を主にお返しする」

「ただし、家畜の初子はのものである。初子として生まれたのだから、だれもこれを聖別することはできない。牛であれ羊であれ、それはのものである。」レビ記27:26

くぅ~ママのちょっと一言
永久に神の奉納されたものが人である場合は買い戻される事はなく殺されねばならないという過激な表現がありますが、それらの人は敵の捕虜や死刑囚を指すとのことです。
そして注目すべきは、10分の1は主のものと書かれていることです。それを自分のものとして満願の献げものとしてはいけないのです。現代の私たちも献身の思いを献金という形で献げますが、収入の10分の1が主のものというのではありません。10分の1どころか、すべてのものは主から頂いたものなのです。健康が与えられ、生きることが許され、仕事が与えられ、収入が与えられています。また様々な人間関係も与えられています。頂いたすべての物は主から賜ったものなのです。その恵への感謝とともに、その一部を主にお返しするのが献金の姿勢です。

聖書要約

献げ物
神はモーセにイスラエルの民に告げるように言われました。
神に身を献げるという特別な請願を立てるときに、その献げものとして、人、家畜、家屋、畑があります。
人を献げるとは献身の証として20歳から60歳の男子銀50シケル(約7500円)女子は30シケル。5歳から20歳男子は20シケル、女子10シケルなどです。もし貧しくて払えない時は祭司が資力に応じて決めます。
家畜を献げる時はいったん誓ったら変える事はできません。いけにえに出来ない動物の場合は祭司の見積もり相当額を支払うことになります。いけにえに献げたものを買い戻す時は評価額の2割り増しで買い戻すことができます。
家屋を献げた後、買戻したくなった時は評価額の2割り増しで買い戻すことが出来ます。
畑を献げる時は蒔く種の量で評価されます。ヨベルの年までの残された年数で評価され、買い戻す時は評価額の2割ましで可能でしたが、ヨベルの年には神に献げられたものとして祭司のものとなります。
この満願の献げものに出来ないものは、牛や羊の初子、これは元々主のものです。汚れた動物の初子、売って代金を支払うこともできます。
永久に主のものとして奉納したすべての奉納物は聖なるものですので買い戻す事はできません。
土地からの収穫物の10分の1は元々主の物、牛や羊は牧者の杖をくぐる10頭目も元々主の物ですから満願の献げものとしては献げることは出来ませんでした。