民数記11章 主の手

「「このの手が短いというのか。わたしのことばが実現するかどうかは、今に分かる。」」民数記11:23

助産師永原のちょっと一言
「主の手が短いというのか。」祈りの中でこのみ言葉をふと示さることがあります。私にはどうすることも出来ないようなことが起った時、難題を抱え解決が見出せない時、不安で前に進めないとき、涙の祈りの中で、この言葉を聞き、心に平安を頂いたことがあります。荒野で肉を得ること、しかも20歳以上の男だけで60万人以上いる民たちに肉を与えることはまず不可能なことです。しかし神には不可能はないのです。主の愛は私たちには充分すぎるほどなのです。

聖書要約
民の不満
民の不満が主の耳に達すると、主は憤られて主の火で宿営の端から焼きつくそうとされました。モーセが助けを求めたので、火は鎮まりました。またイスラエルの民と一緒にエジプトから来たイスラエル人以外の人たちの中で、主に対して食べ物の不満が噴出しました。イスラエル人々も加わり、再び泣きごとを言いました。「ここにはマナしかない、肉が食べたい、エジプトで食べていた魚やきゅうりメロン、葱や玉ねぎ、にんにくが忘れられない」と。マナはコエンドロの種のようで、臼でひくか、鉢ですりつぶして、鍋で煮て、菓子にして食べました。宿営に露が降りるとマナも降りました。
モーセは民の不満の声に苦しみ、主に「私には重過ぎます。どうか苦しみに遭わせないで下さい。一層のことわたしを殺してください」と主に祈りました。主はモーセの訴えに対して、70人の長老や役員を臨在の幕屋の前に集めさせ、モーセに授けた霊の一部を皆に分け与えられました。モーセが一人で重荷を負うことがないようにされたのです。
うずら
そして民に対しては、うずら(鳥)を与えると主は言われました。モーセがこれだけ沢山の民にどうやって肉を食べさせるのだろうかと思い巡らしていると、主は[主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりなるかならないか、今、あなたに見せよう]と言われました。そのとおり、海の向こうからうずらが飛んできて宿営の周りに落ちたのです。ところが節操もなく食欲を満たした者は伝染病にかかって多くの人が死にました。主の裁きが下ったのです。エジプトを恋しがった者たちは葬られました。