民数記13章「信仰の心で見る」

「「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」」民数記13:30

くぅ~ママのちょっと一言

この章では同じものを見ても、人によって感じ方は180度違うということが教えられます。神が与えると約束してくださった土地は、二人で担がないと持てないような大きなブドウが取れる素晴らしいところでした。偵察に行った12名の内、カレブとヨシュアはその地に入れると言いましたが、他の者は無理だと言ったのです。これがその後40年間荒野をさまようことになった理由であります。目と鼻の先にある約束の地を前に、エジプトに引き返そうとした民は神に罰せられました。

同じ状況であっても、見方によって全く違う判断になること、そしてそれがその後の自分の人生に影響するということを心にとどめたいです。私たちの身の回りには様々な出来事が起こりますが、それをこの世の価値観というフィルターを通してみるのではなく、神さまというフィルターを通して見ることが、神が私たち一人一人に与えてくださった祝福の道に進むことではないでしょうか。そのフィルターは愛の心、神に委ねる心、神が必ず良き物を与えてくださるという信頼の心だと思います。

聖書要約
カナン偵察
神はモーセに、イスラエルの民に与えようと約束してくださったカナンの地を偵察するようにお命じになりました。そこでモーセはそれぞれの部族から1名ずつ、計12名の偵察隊を遣わし、そこの住民は強いのか弱いのか、人数は多いのか少ないのか、良いと土地か悪い土地が、どんな町に住んでいるのか土地は肥えているのかなどを調べるように、そして果物を取ってくるように言いました。12名の者は土地に入り、ブドウの1房を棒に下げて二人で担ぎました。その他の果物も取って、40日間の偵察を終えて、民のところに戻ってきました。そして「そこは素晴らしい土地でした。しかしそこの住民は強く、町は城壁で囲まれている」と報告したのです。しかしカレブは民の動揺を静め、「攻め上り、占領しよう。必ず勝てます」と提案します。しかし彼と一緒に行った者は、それは不可能だというのです。「そこに住んいでる民は巨人だった。またネフィリム(創世記6章で神の子らは娘のところに入って産ませた半神的存在)だった。自分がいなごのように小さく見えたし、彼らもそう見えたに違いない」と不可能である理由を並べたのです。